昭和41年10月23日 月次祭



 御大祭を境にして、お月次祭が、やっと十五分間ではございますけれども、それがもう十五分間がどうにも出来なかった。その十五分間の時間がおかげで時間励行できるようになり、きちっと八時半に、お月次祭を奉仕させて頂くようになって、もう今日で二回目です。さあ何時だとさあそれに間に合うようにとこう、ひとつも気張ったものもない。ずいぶん、時間励行を私も云うてまいりましたけれども。
 これはやっぱり、云われてしたんではいけん。自然とおかげ受けてくるものでなからなければならない。昨日なんかは、何とはなしに身についてくる。何回かは、云えば出来るかもしれんけれども、それが矢張り身に付いてきたものでなからなければ、やはり、不自然なことになって来る。たった十五分間ですけれども、十五分間前にきちっとこう。さぁ、親先生が入じゃらなと言う訳でもない。準備が出来た、立たして頂いた、八時半であったというように、もう本当に有難い。
 今度の大祭を境に、そういうおかげを頂いたという風に感じて有難いと思うとります。ですからやはり、皆さんもそれに連れのうた信心が、お出来にならないといけん。それはね、そこに気張らなくても、意欲しなければやっぱりダメです、稽古ですから。何事でも、その稽古です。だから気張らんでもです、本当に、そう、あらなけねばならない。正確なおかげを頂きたい。ならば、矢張り正確な信心をさしてもらいたい。
 きちっとした信心さしてもろうて、きちっとしたおかげを、一分一厘間違いの無い神様の働きを分からして頂きたいと云う願いを、お互いが持たなければやっぱりダメです。何の稽古事でも同じですが、唯、違うのはです。これは、稽古さえすればですね。必ず、そこに出来るという事実を私は、此頃というか、二、三日前に分からして頂いたんですけどね。もうどれだけ稽古しても、稽古してもですね。こればかりはダメだという。そんなのがありますね。
 けれどもここで皆さんが分からなければいけない事はね、信心、信心はそうではない。唯、稽古さして頂こうという意欲、願いと、熱意を持っておったら、もう誰でも出来る。あの人は信心が天才だという事はない。いやむしろ、天才的なものを持っておる、そういうひらめきを持っておる人よりもです、もう本当にあんな人がというような人が、本気になったらお徳を受けておるという事実が沢山あるという事。
 もう信心ばかりは、だから稽古しようという気になれば、誰でも出来るという事。他の稽古事はそう云う訳にゃいかんごたる。それは、私共は、毎日毎日、筆を持たせて頂く。まあいうなら、本当に沢山の字を毎日書かして頂くのですけれども。もうこれっきり手が上がらない。自分ながら、もうこりゃ、筆筋というのであろうか、とまあ自分の字を見てから、もう本当に汚い字だなあと思わせて貰う。
 だからもう、字の汚いのは仕方がないから、せめてこちらの内容が、字はその人の体をあらわすという位だから、こちらがいよいよ有難うならしてもろうて。字は、格好は悪かばってん、なんとはなしに有難いなあ、というような字を書きたいという風にこの頃から思うようになった。だからもう形にこだわらなくなった。
 だから問題は、内容が有難うなりゃ、字も有難くなるだろう、有難い字が書けるようになるだろうと。やはりその、有難いという字があるんですね。皆さんがここでいつも頂かれる御神米の包装紙は、三代金光様の直筆です。それをお供えなさる方が、石版刷りにして、そしてお供えなさっておられます。あれをお供えなさった方がです、そのお供えを持って見えてからです。その職人さんが、あれを見てからですね。
 はあ素晴らしい字とは云わなかったらしい、だって、素晴らしい字とは思われません。けれどもその有難か字ちゃこげな字じゃろち云うた。私、それを聞いてから、本当にそうだなあと思います。これは、伊藤先生ですね、あの、書道の先生ですが。先生が云うておられましたが、品格の点においては、もう一流だと言う訳ですね。字の品格と言う点においては。金光教の御品格というものが、どの位素晴らしかったか
 。又、内容に、どの位有難い物を持っておられたかという事が分かる。形が良くても、それに有難いもの、何とはなしに引き付けられるようなものが、やはり、ないものがある、やつぱ内容です。ですから、もうこれは仕方がない。私共が、いくら稽古しても、稽古しても、そりゃ良い字を書くということは出来ないけれども、有難い字なら、どういう風だろうと言う字もあるんです。
 先日、二十日が菊栄会ですから、いつも毎年もうそりゃ、もう恒例になってしまっておる。菊栄会の方達が皆さん、話し合って、私を、まぁ、最近は一泊で、あちらこちら回る、慰安旅行です。皆さん、銘々自動車持っとられますから、その自動車でやらせて頂く。小倉の中国展を見せて頂きました。それから、山口の方へ参りまして、あそこは何とかいう所でしたですね。山口の何とか温泉でしたですね。
 あヽ川棚温泉という温泉にまいりました。まぁそれに早い着きでございましたから、まぁゆっくりとした、実に有難いと思いました事は、もうその、そのお店だけはもうがら空きでした。だぁれもお客さんが居ません。ですから、やはりみな、 サービスも良かった。もう私が好きなもんですから、皆さん色々心使ってから、もう本当にいわば、まぁ手取り足取りのその有難い中におかげ頂いたんですけれども。宴なかばになりましたら、芸子さんば、いっちょ呼ぼかということになった。
 それでもう今夜は一つ、まぁ静かな雰囲気の中に、おかげを頂こうと私が云いよりましたけれども。私の心の底を見てとったように、いいえ、やっぱ、芸子さんばひとつ入れましょう、三味線が入らにゃいかん。それで、仲居さんに、その事を申しましたところが、そのやっぱ三十人から芸子さんがおるそうですけれども、みんな出られていない。もう、間合いをかけなければならない。間合いを掛けるち云うたっちゃ知んなさらんでしょうね。もうみんな出てる訳です。
 ですからその、そこへ電話するなら、電話でその、古い芸者を、こちらへ寄こしてくれという訳なんです。そんかわり、やってみえたら、その倍増し給料、税金をとるぞというような仕組みになっておるです。昔もそうでしたから、今でもやつぱ、そうだろうと思います。もう、合楽的ににはありません、もうそんなことならよかろう、と申しましたら、あの、あすけ一人居るこた居りますち、けれども、こりゃもうはじめから承知頂かにゃなりません。その芸の方がいっこう出来ません、三味線の方が。こっちはもう年寄りでもいいから、もう芸の達者なものをと云うておる。
 ところがその、にくじのごと、その人が一人そのおるだけなんです。もうそれでん良かたい、もうピンとでんいや、もうそれで、座敷が明るうなるけんでち云う訳ですたい。その代り決してその、難しか唄どん歌うて下さいますな、芸者ひとり(       )仲居さんが前から云うちゃりますもん。もう小唄どん、決して唄いなさいますな、ち云うてから、仲居さんが云いますもん。それでその参りました。
 ところが来たばってん、いっこう三味線握ろうとしません。だからいわんこっじゃない、止めるこつはいらんばってん、まっとったらもう、その仲居さんが、とうとう、まぁちょいと出しなさいと云う訳で、まぁ出しましたところが、本当に私はですね、そのその人の話を聞きよるうちにです、始めは、まあ何ちいう唄じゃろかと、こういうことですけれども、話を聞きよったらですね。もう本当に可哀想になりました。
 若い風でしたけれども、私共が青年時代に久留米に居ります時分に、久留米の高級会と言う芸子さんでした。本検という検番が御座いました。(    )善導寺の誰々さんも知っとると云うてその云いよりますもん。ですからほうそすとあんた年はもうそうとうなる訳です。けどもまあ商売柄、若くしてして作ってありましたけれどもです。ところがその、第一三味線の調子が合わん、大概弾きながら調子みたいは、すぐ合わせるのですけれどももうちょっと違うたら、(    )というような芸子さんでした。
  しかもそれが、合うとらんです。誰も、それで、その、そして一番初めにまぁ、唄を唄いなさいましたけれども。それはもう本当にその、まぁ、変な、聞くにたえない位に、いわば、気の毒に思いました。金錦時代からというからもう何十年間芸子さんをつとめて、何十年間、それこそ随分叩かれもしながら習うた三味線でしょうけれども、もうこればっかりは、もう自分で云われますもん。私は下手でございますけんで、ち云うちから、向こうから言われる。
 それで私が、もうここんもんな、だあれん知らんとじゃけん、よかがの、私はもうポンチ可愛いが一番好いとるち云いましたら、もうポンチ可愛いやばあっかり唄いなさいます。(大笑い)それから、私も好きなもんですから、ちょいと三味線を握りました。ところがその、周りの仲居さんがですね、はぁと云う訳なんですね、私がその三味線握ったもんですから。そして私が、ちょっとその調子見ましたら、少し音色が違うとった訳ですね。いやあ私の三味線もという、更えて頂こうと言う訳なんです。
 それから、仲居さんが自分の三味線持ってきてから。この人は、とてもとても、やはり芸子さんだけあると私思ったんですけれども。唄も上手なら三味線も上手。私の三味線に連れ弾きして下さってから、まぁその賑あわせて頂いたことでした。それでその仲居さんが、じつにその芸子さんの顔を立ててですね。もう何ともいえん雰囲気でございましたけれども。何十年間、三味線を握っておっても、これだけはその、唄もでけんなら三味線もできん、調子がまぁだ本当に合わんという芸子さん。
 これはもう一生評判だから、ほんなごて一生懸命になったに違いないけれども、出来ない。私も随分芸子さんを知っとりますけれども、あんな芸子さんにいき当った事は初めてでした。ですからもうおっちゃんなどけ行くのなっどん弾いたごたる風で、もうポンチ可愛いやばっかり弾いとりますもん。そればってんですねそれがもうどうした芸子じゃろかとは思いませんでしたですね。それでその仲居さんにもう線香代半分な姉さん、ああたに上げますけんでち云うて、自分が本当にそげんやっぱ卑屈になっとるですね。
 それで、こりゃ何の道でもその、稽古事というのはすべて同じというけれども、でない稽古ごとも、やっぱあると言う事を、私は感じたんですね。けれどもその、信心だけはそうじゃない。私共がです、本当に信心が分かりたいという願いをもってです。例えばほんなら、芸子さが芸者になるならば、先ず、私ゃ三味線弾っきらんけん太鼓なっとんと、笛なっとんと。何かその一芸の秀でたものを持っておらなければ芸子さんとしての、いわば値打ちは無いのだ。舞いを舞うとか、その芸が無いなら出来ないのだ。
 だからこう、三味線ごとのことじゃない、芸ごとだけじゃない、こればっかりは、いくら稽古しても、稽古しても出来ないというのが、稽古事のやっぱり、そういうものがあるんですけれども、信心だけはそうじゃない。どんなに頭が良かっても、いわゆる、信心のひとつの、なんち云うですかね。やはり、天才的な信心をもっておる人も御座いますけれど。けれども、本当にあの人は凡才だと思われるような人がです、お徳を受けて行くという事実が沢山あるのです。
 なかなか、こうお話を頂きよっても、非常にひらめきの良い人があるんです。通うて来ても、通うて来ても分からん人があるんです。けど、そう人の中には応々に信心の意欲、本当に覚えようというような熱意を持たない人が多いいです。だから、本当に覚えたい。本当に分かりたいという願いを持つならば、信心は、いつの間にか、何とはなしに、自然の中に、信心が分かってくるものだということです。
 神様は、導く事が専門、神様がその不同な扱いをなさることは御座いませんもん。ですから、こりゃ例えばですよ、どんなに良い信心が出来よるとか、又はお話が上手とか申しましてもです。椛目には、まあそうですね、十五日間お参りしなかったらですね。もうここでお話がずれてから、合わんです、どんなにいいお話でも、不思議に。日々、やはり、うまずたゆまずというかね、稽古さして頂く者にはかないません。月次祭たんべんなら月次祭たんべんにお参りさして頂いて。
 月次祭に頂くその御教えというものを本気で次の月次祭まで、その事に取り組ませて頂いて行じさせて貰う。稽古さして貰うという人ならば信心がどんなに、それはいうなら音痴的なですね、音楽でいうなら。音痴的な人であってもです信心の音痴というのは無いという事です。同時にその本人がそれを意欲するかしないかという事なんだ。十五年参っても、一年参った人よりも信心が分かってないという人が沢山有ります。
 皆さんはどちらの方へ入る事になるでしょうか。信心の稽古をしておると。先程もこちらへ出る、二階から下りてくる前に、ちょっと時間に先生方と話した事でした。私がこれは違いますけれども。あのお祭りの時に使いますあの説教笏はです。あれはもう十五、六年前にまだここで私がその、いうならお参りしてきた人にお話をさして貰い。その人の話を聞いてから、難儀な問題がありゃ神様に私がいわば拝んであげる。
 そして、それはこう言う様な事だ、ああだと 言うて皆さんがそれを受けられた時代でした。善導寺の久保山さんというてから、あの総代さんがおられます。久保山紋吉さんという有名な、まぁ三井郡きってのお金持ちでした。それはもう大変なおかげを受けられましてから、善導寺教会の総代と、久留米の親教会の総代を兼ねてしておられました。久留米の初代の石橋先生がある時に、その、宅祭りにお出でられた。
 そしてその、よく、こんなことがあることですもんね。お装束を片付けられたところが、その笏竹を忘れられていかれた、久保山さんところに。それで、そのことを親先生に申しあげられたところが、そりゃもう、ああた方に記念に差し上げようと云うて、その笏を記念に頂いておられたけれども。信心が段々、ご主人が亡くなられて、おばあさん一人になられましたもんですから、うちに置いとっては、勿体ないというので、笏をここへ、お供えなさったんです。
 こればっかりは、私は、もう自分がこんなもの使うておるとは夢にも思いませんもんですから、それこそ、お粗末にしてあったんです。それこそあの、どこに置くやら分からなかったんです。けれども、そのようなことであの笏は椛目にお供えがきとりました。もう五年祭を使える頃でございましたでしょうかね。あの一番初めの 鏡なんか、皆さんご承知の方が多いでしょうけど。私は、そこから応接台を前にして、向う向いてからお話をしよった。お取り次は、こんな恰好じゃなかった。
 お参りしてくると、そこで一生懸命、参ってきますと、こういうふうに向いてから、お話をしよった。それが、今あそこで久保山先生が使うておられる、あの御結界に使う机のお供えが御座いました。それから、この衝立のお供えが来るようになった。いわゆる、あの小道具一切が集まってきた。私の場合なんか、はじめから袴なんかはかなかった。又、はけと云われても、私は、はかなかったでしょう。ですから、神様はもう実にこの前かけをお供え頂いた。こうしわのよったですね。
 それで、前から見ると、袴のような感じの前掛けであった。もうそういうような恰好で、毎日、御神前の奉仕さしてもらい、又、お祭りなんかも奉仕さして頂きよりました。あの時分は、それこそ、呉服屋の番頭さんのような恰好で、羽織を着て、袴はかずに白足袋はいてから神饌しよりました。まあだあの、上滝さん達のおられる頃はそうでした。ところが段々、こう、いわゆる、教会の形式といったようなものが、取り入れられるようになって、私も御結界に、あんな風にして座るようにならして貰うて。
 ですからもう、全然、不自然さは感じなかった。いつの間にか、何とはなしにそれが身に付いてきた。例えば私が、こういう教衣をつけるようになった時でもです。私自身、おかしかというような気持は勿論なかった。先生でもなかったあげな時に、又皆さんもひとつも感じられる風じゃなかった。この説教台でもそうであった。
 私が以前、田主丸あたりにずっとお話にまいりますと、沢山の方達が集まった。それで私が座ってじゃ話されんから、立ってお話をする。そん時に高山さんが初めて聞きに来ていて下さった。こげな話は、とても説教台なしでどん、聞く話じゃないというてから、早速これを、町のきもの屋さんに頼んでから、これをお供えされた。これがそのお説教台です。それから、例えばなら、もう自然にそういう風に、その開けてきた。
 親先生が使ったのだと思います、あの、教衣をつくることを頂いた。教衣というが、教衣というのがちょっと違います。ここのは、普通のとは。こういうものをつくるように頂いたから、私、京都に参りました。先生方、四、五人一緒に参りまして、現在、先生方が着ております、あれを注文して帰った、私も一緒に。ところがどうも、私への神様からこういうものを作るように頂いてはおるけれども、なんとはなしに、やはり、ひっかかるものがあったんです。
 けれども丁度、私は月次祭の夜に帰ってきた。帰ってきて驚いた。今私の部屋の床に掛っております軸がそれであつた。これと同じ教衣をつけた、お爺さんの絵がついとった。いくら下げたっちゃですね。わざわざ書かせんばしせん限りは、これと同じ教衣もこれと同じ。これと同じ教衣をつけたお爺さんが、お婆さんと、孫をこう抱いておる、その掛け軸の絵がその場にその晩から、ですからもう一つもひっかからなかった。もう実に自然です。もう自然の中にこういう風に、段、椛目に来、夢が開けてきた。
 そして、自然にそうしなければならないように、合楽の方にお道が開けようとしておる。ですから、その自然な、そういう掟の、それは先日秋永先生が夕べ云うておられましたように、とても先生、この目に見えるおかげですら、これなんですから。おかげはおかげでも目に見えるだけのおかげがこれなんですから。とても目に見えないところに、どげな風に響きよるか分らん。おかげの場合でも、目に見えるおかげが、これなんですから、目に見えないおかげは、どの位響きよるか分らんて。
 ここんところを最近、秋永先生は実感しておられるようですね。目に見えるおかげより、目に見えんおかげの方が多いとこう。そこんところを本当にそうだと、こう実感しておられる訳なんです。それが、先生の場合は反対にです、はぁこの位のことでこういう風に間違いなくおかげを落すんだから、この目に見えたおかげがこれなんだから、目に見えないおかげの落し方というものは、どういう風に神様の世界に響いていきよるか分らんということを、最近実感致します。
 せん訳にはまいりませんと云うて、最近のお話をなさっておられた。これで段々実感できる。そういうようなです例えば自然の働き。私が申しましたそういうような事が、また皆さんが何時も見られましたところの、椛目のいわば開け方というものが、もう自然の中に、不自然でもなく、抵抗も感ぜずにずっと開けてきたということ。ですからそういう例えば、どうにもこうにも出来ない程の素晴らしいですたい。
 例えばその、軸の問題ひとつ、考えて見なさい、大変な事なんですよ。今度、教衣を作って注文してきたけれども。まだ心にどうも、こんなもん着せたら、引っかかる感じがしよった。例えばなら、袴は初めからはくとひっかかるから、初めは前掛けじゃった。それでも、今度誰々が見たところ、袴はいて見えるごつなって、私には本当の袴をはかして下さり、白足袋をはかして下さるようになり。
 羽織を袴を、そして紋付をというように、段々進んできた。そういう例えば、働きの中にです。もうそれが自然の働きの、もうどうにもこうにも出来ん働きが椛目に居る私を中心にして、表れておるということ。ですから、皆さんがです、本当に信心の稽古をさして頂きたい、信心のお徳を受けたいという願いをもって、信心の稽古をなさるなら、一緒にいつの間にか、なんとはなしに力を受けられて、おかげを受けられなければならない筈だということ。そういう働きの中に御縁を頂いてるのだから。
 ところがその、今さっきの何じゃないけれどもですね。恐らくその芸子さんになった人はですね、もう私はもう三味線な、どうでんよかと思うてはなか。芸子さんでん生まれ変わったら、お客さんの前で、いちいち、そりゃ恥をかかにゃんことがある。悪く云われることもる、冷たく当たられる事もあろうから。そこはもう、歯を食い縛ってでも、ひとつ、覚えたいという思いが、何べんかしなさったような事もあろうけれども。さぁこればっかりは、私は合い弾きで、調子のこの耳に響いてこない訳なんです。
 音楽は第一、耳が大事なんだ。それに響いてこない訳なんです。弾いてみなければ、調子がいいかどうか分からん。これは何十年間、三味線握ってきたけれども、それが出来ないという、しかも、これは三味線だけじゃない、他の稽古事にもあろうけれども。こと信心には、それは決してない。もう私だん、むつかしか、私だん駄目だというような事ではなしにです、本気で、信心の稽古をさして頂きたい。本気で力を受けたいという願いさえ持ちゃ、それこそ、人が、毎日の修行も、さして頂くことが出来るし。その真似も出来ん、いわば、きちっとした信心も段々出来てくるようになる。
 そういう願いをもって。ところがその願いではない。おかげのことだけにそれが置いてあるならばおかげを頂きゃ、それがそれでおかげになる。これでは迷わんでおかげ下さる。これでは何時までたっても、それこそ調子も合うまいと私は思います。私は今現在どういう信心をさして頂いておるか。どういう事を一つの焦点にしての信心なのか。そしてその私の信心に、調子を合わして下さろうという願いさえあればです、段々調子が合うようになる。どのような一大交響楽でも、その感じられるようになる。
 今朝から、奉修委員の方達の御祈念の後に頂きました御理解ですが。久富くにかさんが、二、三日前お知らせを頂いた。そしてその事を、お伺いしたけど、私が昨日、返事をしなかった。だから、その事を一生懸命お願いをなさっておられたら、今日また頂かれた。もうそれが、返事のように頂いたとこういう訳なんですね。どういう事を頂かれたかというとですね。「危機一髪」ということを頂かれた。もういわゆる、断崖に立っておるというような感じ。
 先生どういうことでしょうか。しかし大変なことが起こる。いわゆる危機一髪というのだから。しっかり問題は、それじゃない。心を神様に向けてさえおけば大丈夫。神様から頂いたことを、まぁしっかりひとつ頂きなさい。どういうか又分からして頂きなさい、と私云うとったら、今朝からの御祈念会の時に、そのことを思うておられたら、頂かれたことが「最後の五分間」ということを頂かれた。そこで「危機一髪」と「最後の五分間」というのは、その、同じ意味ではないけれども、つながっているものであろうとは思いますというお届けであった。
 そのことを私は、今朝の御祈念、その御祈念、各家族の方達の為に、そのことを話さして頂いた。確かにその、椛目は当時危機に立っておるということなんです。はぁこういう神様、こういう間違いのない神様を頂いておるから、ここで信心さえ間違えなければ、間違いないおかげが頂けれると確信をもっておるけれども。果たして、なら皆さんの上にそういうものがあるだろうか。
 本当に育たん。もう、この信心を抜きにしたら、もうとにかく、もう、矢張り危機に立っておる。皆さんが、例えば、そんならそれは、どういう意味ですかという事を お聞きしたいならば、ひとつ、銘々で、ここに来て下さい、私が説明して差し上げます。なるほど、椛目は危機に立っておるなあという気がいたします。然し如何に危機に立っておっても、神様のおかげさえ頂けばいいのだ。
 御造営の方も段々この十一月の半ばには、大工さん達の仕事が終わるというとります。本当に十二月には、先祖の運びになるだろうと、私は思います程に進んでおるから、いうならばもう八分も九分も出来ておるという感じ。けれどもその後の一分が問題なのです。あとの二分が私は最後の五分間だとこう思う。さあ最後の五分間、もうあと頑張ろうというて。ただ頑張っても、その頑張っただけではいけないということ。
 ただ、ほんなら御用に出ただけではいけないということ。ただ参って来ただけではいけない、という事。焦点がなからなければいけない。その最後の五分間を、どういうところに焦点を置いて、しぼって、信心の稽古をさして頂くか。そこんところのおかげさえ頂けば、この危機を脱することが出来るのであり、ここからおかげを頂けるのであるということを感じる。どのように皆さん思われますか。椛目が危機に立っておる。最後の五分間。その五分間をどういう風に、そんなら、緊張するなら緊張するか。
 一生懸命なるなら、一生懸命になるかという事。今日は、少年少女会、青年会、それから学生会の方達だけでの運動会が、草野小学校のグラウンドを借ってございました。大変まあ充実した運動会だったそうです。もう日の暮れるまでかかってる。まあいろいろ、盛り沢山の競技だったそうですから。ところがですね、そういうようなことが、今日はお月次祭なのに、そういうことが半分ではあっておる、椛目で。
 そげなことにですね、全然その私は、その何というですか、思いを感じなかった。もう云うならば、何か知らんけれども、いうならこう、絞らんでも、すたすた落ちよるその雫で、今日の運動会があっておるというような感じであった。ひとつも気張らない、張り込まない、私の心の中に。もういうならば、椛目の御比礼が、ああしてその運動会などというような行事があっておるというような感じであった。御造営のおかげだ。そういうおかげを頂けたら、素晴らしい事であろう。
 さびしがるけれど。とにかくもう、本当にしぼることはいらん、もうほんの雫でええ。それで結構あの御造営が成就していきよるというような、いわばゆとりのあるおかげを頂きたいと私は思う。しみじみと思う。ですから、私と、そこんところの調子を皆さんが合わして下さる為に、そんならば、どこに焦点を置くかということです。どこに、ほんなら調子を合わして行くかということです。さあ、あとの五分間、だからいっちょ頑張らにゃと、と言うて、頑張る焦点がです、こっち向いて頑張ったり、こっち向いて頑張っとるんじゃいけんのです。一二の三で、力が合わなければいかんのです。
 神様の間違いのない働きが、お商売の上に、又は様々な問題、難儀な問題の上に、神様の間違いのない働きに、本当に素晴らしいというようなおかげを頂く時には、誰だっておかげと分かります。又喜びもいたします。本当にもう、夢にも思わなかったようなおかげを頂けたというのですから、誰でもそれを喜びます。ところがそれとは反対のこと。反対のことになると、どうしてじゃろかということになる。
 これだけ信心するのにということになる。そういう信心がです、私はいくらそういう信心で頑張られても、それはおかげにゃならんと私は思う。願いが願い以上のことに、いわばタイミングよう、おかげを頂いて行くということもm有り難いなら、いわば、おかげを落として行く上にも、落として行くと云うと可笑しいですけれども。その痛いとか、痒いとか難儀を感じる事柄の上にもです、素晴らしい神様の働きだと、分からして頂くような信心だと私は思う。
 先程の、秋永先生の内容を少し申しますならば、この頃から非常に商売の上に調子が出てきた。ところがです、ある日のことから、そのピシャッと商いが止まってしもた。まだ商いが止まってしまうだけならいいですよね、売れんち云うだけで、たとえ商売で言うなら。ところが今まで売っとった分まで返った来た。だからそれとその分の、この前のつば、返して来いという結果になってきた。時に先生考えた。
 こりゃおかしいぞと、いわゆる、あの間違いのない、いわばおかげをです。こんなにはっきりと、現れてくるところの、おかげではないと思うその事もです。こりゃ神様の御神意があることだ、神様の御都合のあることだ、こりゃ動いちゃいかん。のそのそと返ってくる。そこで、まあその日は古屋さんのとこえ行って、色々御用のことを打ち合せを致したり致しまして、そのうちに、自分の心の中に感じられたこと。
 それはこの頃、先生と二階で色々会議をしておる時に、私が、あることを、例えば赤とこう言った。そしたら先生が、ああそげなこたいきまっせん、白が赤です、とこういう風に云うた。いうなら、私の云うたことに対して言い訳をした、だけではない。それを無視してしまって、自分の云うことを通そうとした。そのことが心に閃いた。ああほんに十五年も前にその先生が、赤ば白と云うたっちゃ、ほんなこと白ですねえ、と云いよると、白に見えてくるようになるおかげを、頂いとったのに、最近、自分なそこんところに、素直さがなくなったなあとこう思うた。
 そのことを本当に心からお詫びが出来た。おかげであくる日から又、元にも倍したその御比礼というものが、皆、様々な上におこってきた。という話を昨日さして頂いた。ですから、本当に例えばこういうおかげを頂くということでも、神様の間違いなさを分からして頂くならです。それとは反対の場合もです。先ほど私が言うように、はぁ、とてもとても大変なことぞと、ただ、ここで商いが止まったとか。
 例えば、商品が返ってきたとか。形の上においては、それだけなんだけど。それが目に見えないところに、そういう響きがあっておることをです、感じた。こりゃ大変なことだと思うたと、こう云うておられます。そこんところを分かっていくところの信心。そこんところを、そう頂き直していく信心。そこに気付かして頂くところの信心。そこから、いわば神様の働きを 例えば暑かっても、寒かっても神様の働きを、働きとして十分心に頂けれるところの信心。そういう信心が、あとの五分間の焦点になからなければならないということです。
 今まで例えば、なら百時間のうちにです。九十五時間というものは、どうぞおかげ頂きますように、御用が出来ますように。まことに、御造営の御比礼が出来ますようにという事ばっかりで、もう百時間かかるものは九十五時間もうすんできたのだ。今ここに、残っておるところのあとの五時間であり、あとの五分間なんだ。その五分間の仕上げというのは、どこに焦点を置かねば、良いものにならないかと言うと、たわいもないような、私は、事じゃなかろうかと、こう思うのです。
 ならそういう例えばお互いがです、焦点をその五分間のそこに絞らせて頂くんだけれど。私の信心から離れておったらです、そういう信心であることの調子さえがお互いが分からないということなんです。話を聞けば合点がいくのだけれど、実感としてです、こりゃ大変なことぞと、目に見えるおかげはこれだけ、見えないとおかげ落としたのがこれだけならです。目に見えないで神様のおかげおとしの方へなら、どれくらいあるやら分からんと云うところへです。
 気付かしてもらうことによって、真の信心に立ち返ることが出来るのだ。皆さん確かに椛目は、今、危機に立っております。その危機を乗り越えるなら、いわばこの最後の五分間を、いかに私を中心にして、又私の周囲にそのことを思い、願って下さる皆さんの信心の調子というものが、只今申しましたなところに、ピタッと合わなければです。私はいくら逆たんぼ打って要らん事に、どげん金つぎ込んだってそれは駄目だ。
 そしてそこに一つの、十分なら十分のおかげを頂かせて貰って、そのことを自分の信心にさして頂くということをです。この際この機会に、頂いておかなければならないというような気が致します。私の話は何か遠いもののように、もし聞かれるとするならば、あなたの調子と私の調子が、全然合ってないことを悟らななきゃいけません。もう何がなんでもとこう申しますけれども、そういう調子を私は体得してもらう。
 それには、今日はじめから申してまいりましたように、椛目の場合に、もう何時の間にか、なんとはなしに分からして下さる働きというものを、例えば、私の、ここでお取り次の状態の姿、ひとつの上にでも、そういう働きがあっておるということをです。皆さんが、先ず、知らなければならんです。而も、そういう働きの中に私もあるということを、皆さんが思わなければならん。だから、私の、その調子に合うていくならば、いつの間にか、信心が垢抜けしてくる。いつの間にか、有り難い私にならせて頂いていきよるということをです、感じさしてもらえるおかげを頂きたい。
 椛目の信心が、垢抜けしとるという風に、もし、人から見られるおかげを頂きたい。又頂かなければならん。それは、見かけだけが、どんなに素晴らしゅう、いわば出来ておっても、内容が無かったらつまらん。今日の運動会のことで、思うんですけれども。いつでございましたか、あの椛目中のものがあの春期か秋期かの運動会をやっておる。そして、その御理解に対してです。半年なら半年間の、一年間なら一年間の、自分達がみがいてきた、その技というものを、ここに競わしてもらう。表していくというのが、あの運動会であるというようなことでございます。
 昨日夜でした。久富繁雄さんが、晩の御祈念に参って見えてから、今朝方からお夢を頂きました。どういうお夢であったかと。もうはっきり菊栄会の連中が、そのほかに沢山られるけれども、はっきり分かるのはその菊栄会の連中である。そして今から学芸会がある、というところであった。私共の子供の時には、学芸会と申しておりました。様々なお話をしたり朗読をしたり劇をしたり致します。もう楽しいものでした。
 お互いに信心の、例えば稽古というものがですたい。運動会もよかろう、学芸会もよかろう。けれど、もっともっと肝心要のこともです、運動会、又は学芸会に匹敵する、自分のいわば信心のおかげ頂いてきた十五年間のおかげを頂いてきた、そのいわば、運動会にも匹敵するような、学芸会にも匹敵するような、いわば、表し方というのはです。今の椛目には、御造営に現していく以外には無いのではなかろうかと、私は思う。いかにどんなにあっても、そこに現わしていくものがです。
 運動会の時に、一年間の、一生懸命に稽古した競技をです。運動会で披露するように。一年間勉強してきた、その様々な学芸をです。いわば、そこに発表するようにです。一生懸命の信心を、あの御造営の上に、現わしていくようなおかげを頂いていかなければならない。それには、どうでもひとつ、椛目の現在の状態というものをです。ひとつ皆さんが分からしてもらい。なるほど、椛目は今危機に立っておるんだなというような、例えばことを分からしてもらい。そこには、最後の五分間というその信心と、そのことがつながってです。そういう、危ない
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