昭和41年01月14日 朝の御理解



 小倉の初代、桂松平先生が、ご本部のご造営を発願されて、神様がご祈願をなさった、その祈願文の中に、「飛ぶ鳥も翼なしには飛べません。」と、ご造営を思い立ちましても、それに付いて踊る信者氏子、いうならご造営を思い立ちましても、まず金銭のお繰り合わせを頂かなければ何にも出来ませんと、いわゆる飛ぶ鳥も翼なしには飛べません、という意味の事を祈願文の中に書いておられますですね。
 私そんなことを、今朝の御祈念にそうどこじゃないなと、こう私は思わさせてもらった。椛目のご造営でも、そのうしゅしとし、またその願いとしておるところは、神様のお願い、もちろん神さまの願いに違いないのだけれども、矢張り信者一同、の願いでもあるわけで御座いますから、神様が言わば思い立っておられるのであるから、神様が何とかおかげを下さるだろうと。
 言った様な物ではなくて、矢張りその御用に使こうて頂く者に先ず、飛ぶ鳥に翼を必要である様に、その翼を必要とすると、どうぞ本気でおかげを頂きたいという信者氏子の上に、特別のお繰り合わせを一つ願わせて頂いたら、成程それもなんだけどもね、それより先ずね、全員信者一同の勢を揃えた信心をまず願えと神様仰いました。眠っておる者は起こして、起きた者は座らせ、座らせておる者は腰掛けさせ、腰掛けておる者は立ち上がらせて頂くと云う様な、そのおかげをまあ頂かなければなりません。
 そこに信心の過程、信心の程度というのは様々で御座いましょう、そして御神願にですね。椛目の会員の皆さん達が、その上っ張りだけではありますけども、揃いの衣装に全部着替えられる所を御神願に頂いた、いうなら芯からではなくてもです、形だけでも、言わば形だけでもまず勢が揃わなければならないと云う事、形だけでも同じ事を一つにしてです、沢山の者が願わして貰う事にならなければならないと云う事です。
 実は今申します様に、信心の度合を、上辺だけではなくて芯からというのが本当でしょうけどもです、上辺だけでも良いからです、上っ張りだけでも良いから同じ一色の着物に着替えさせて貰う、その所を願う、その内容はです、寝とる者もあろう、ようやく目を覚ました者もあろう、腰かけとる者もあろう、座っとる者もあろうけれども、その中から。本気で立ち上がらせて頂こうと云う人達が段々出けて来るね、先ずこの勢信心の事から願わせて貰わなければならない。
  あぁしてみるとこうとはなしにです、私共の願いというのが、おかげを頂きたい、おかげを頂きたいと、どうぞ私にこういう御用も、こういうおかげもお許し下さい、頂かせて下さいと言うて、願う事も成る程合点が行くですけども、その前に先ず勢が揃わなければならないと、これは皆さんの個人個人でいうならばです。先ず言わば家族中の者がですね。年寄りも、中心になる人達も、子供達にも言わば、なら小さいまだ御造営がなにやら分からん様な、例えば小学校なら小学校に行きよる様な子供達にもですね。
 はらぁ御造営、御造営までは買わんぞ、もう御造営までは、頑張にゃ御造営すむまでは、家族中の者が修行せなんぞと、さぁお父さんやらお母さんが、朝の参りすんやから、さぁあんたは起きてから、あんたが朝御飯くらい、炊かなと言った様なです、まず、雰囲気が家族の上においては、必要じゃないかと云う事です。あんたどんが、二人参らんなら、ご飯はだれが炊くのち、だれか一人づつにしてくれ、と言った様なものが、あってはならないと云うこと。
 それが例えば、芯からのものがなくても、形の上だけだけもそれが出来る様な事を先ず願わなければならないと云う事。うんそれが、ならお広前にあっては椛目の信心、いわゆる会員の全部がです端々に至るまでがです、ご造営と云う事に焦点をおいて、一色の上辺だけでも良いから着物に着替えさせて頂く、そこんところに、その一線上にこう整列のできる様なですか、ご造営というその一線上に同じ着物を着て全部勢揃いが出来る様な事、信心を先ず願えと云う事を今朝から頂いたんですね。
 桂松平先生のその祈願文の中に、どうぞ九州中の商業産業農業の上に一代繁盛を祈願されたと、その名残が今夏の祈願祭になっております九州では。ですからその事の祈願をさせて頂くと云う事、ですから桂先生の場合なんかは、もうそれ前の桂松平に付いて踊る者はとこう仰ったそうですが、その桂松平先生に付いて踊る人達が、もうす出に有ったと云う事かも知れませんですたい。
 ですから、その例えば、この大坪総一郎について、おどる人達が、おどりよい様にです、家族にあっては、椛目椛目と言うて、椛目ばっかり一生懸命なってと、例えばんなら、主人が思い立っておるのに、家内が言う様であっては、夫婦が思い立っとっても、子供達がそれに、反対する様であってはさぁ、おどろうと思うてもおどり難かろうと、どうぞ一つ勢をそろえた信心。
 そこにはです、ならどう言う様な私は、そういう祈り願いを持つ為に、なら皆さんが椛目のまぁいうなら中心になられるでしょう、総代さん方を初めとしてです。椛目でその朝参りでもなさる方達がその中心になられる訳で御座いましょうけれども、どうぞ椛目中のご信者さん方が、そういう、なら上辺だけでも良いから、そういう信心に続いて来る。さぁ総代さん方に続けと言った様な信心にならせて頂く為には、その続いて行かなければ終れない、強烈な私は魅力が必要だと云う事です。中心になる人達に。ね、
 例えていうならば、昨日の13日会に私の学院行きの事が、皆さんそういう決定し願書も出すと云う事になりました。それは一年間ではありますけれども、例えばこのお広前を留守にしなければならない。若先生を中心に先生方が、そして総代さん方が、皆んな協力しおうて、その間をここ守って下さらなければならない、片やご造営にも進行中であると。と言った様な問題を踏んまえてからの今度の学院行きで御座今すから。
 又はそのことを踏んまえてからの、皆さんの信心になるので御座いますからです、一部の方たちが、ただ一生懸命になったというだけではなくてです、これが家族を上げて、いうなら椛目の全体を上げてです、上辺だけでもよいから、その気持ちになることを願わせて頂いたら、そのことがスムーズにです。おかげを頂きよいだろうと、こう為には中心になる方たちの信心がです。
 さぁ総代さん方に続けと言った様な、その総代さん方なら総代さん方、先生方なら先生方、また椛目の中心となる幹部の方達の信心がです、付いて来なければおられない一つの強烈な魅力というものが、私は必要だと云う事になるのではないでしょうか。これは私共の少年時代の信心で御座いますけども、少年少女部会、今は子供会と言うておりました。あの時分に、私と岸先生が7つ違います。
 だから、私が10の時が岸先生が17だったと云う事になります。けれども、その7つ違いの岸先生がですね、大変な魅力であった事を、その事を思わせて頂きよりましたら、その事を思わさせて頂いた。又私共の少年時代の信心の頭の中に入っておるのはですね、親先生の話しと言った様な物は残ってないです。けれども岸先生が言われた事が、もう色々残っておるです、頭の中に。
 岸先生を中心にして信心の話を聞いたりです、色んなそのまぁゲームを致したりしました事が非常に、私にとっては少年時代の一つの信心の憧れだったと云う事、憧れの焦点であったと。ですから、日曜の子供会が楽しかったと。その何がですね、あの当時の岸先生にあんな魅力を、私共が感じたかと、まだいうなら10代の私達にですね。もう言われる事と、される事が一致しておったです、私共が見た、見た目においては。もう話が上手とかそんなもんじゃなかったです。
 もう言うなら、心行一致の人だったです、それはもう青年時代から。また信心の勉強も確かにしておられましてから、信心の話をよくして下さる、けれどもそのして下さるその先生のされる事がです、その一つのそういう精神にですね、私は矢張り憧れを持ったです。言われておる事が違ごうておった、まだ、なら16・7のそう言うまぁリーダー各の人たちが2・3人おりました。
 ある時に夏でした、こう遊んでおりました、そしてその先生方が2・3人でそこで矢張り何か信心話をしてました。まだ10幾つの先生方が、私だん遊びよった。そしたら偶々ですね、このヒョローっと、壁チョロが出て来たんですよね、この壁チョロっちいうのはそうな毒を持っとるげなちいう話をしよった、したら岸先生がこう云う事を言われるんですね。その他のあと他のリーダーの方は誰か忘れてしまったけれど。
 「もしあんただんここで死刑にならなきゃならんち言われた時には、どげな死に方をするか」ち、みんな色んな事を言いよんなさった。そしたらて岸先生はこう云う事を言われた。「壁チョロと言ったら、そうな毒を持っとるち云う事を聞いとるけれども、それを本当に私は確かめてから。言わば世の中に少しぐらい貢献して死にたい」ち云う様な、そう云う様な一言がです、事話の端々がです、子供の心を捕まえたんです。
 素晴らしい事を言われる先生だと。折角死刑になるのならですその死ぬると云う事が、世の中に何か貢献しなければです、私はただじゃ死なんと言った様な事を話しておるのを横で聞いてですね、はぁ本当に尊い事だとまぁいうならそんな風な思いだったんでしょう、矢張り心を打たれたんです、子供心に。まだ青年時代の岸先生がです、ある時に言うておられたです。もう私は時々便所の中に入ってから泣く事があるっち。
 なし泣くかっち言うと、これは死なんならんじゃろうかと思うたらですね、もうどうせ一遍は死なならんという、死に、死と言う物に取り組んだら、私はもう泣くごとなって来るっ地言った様な、何でもないそう言う話がですね、実に私共の心を捉えておるです。ははぁその、まだあぁいう子供の時にです、死と云う事に対決しておられたっち云う事。今から考えて見ると、信仰、信心のですね、もう一番ギリギリの所を、矢張りあのう、そういう時代にですね。
 信心の何たるかと云う事を、信心は何を体得するのかと。人間矢張りこの生死の問題と言った様な、こういう問題に取り組む事が一番重大な事なんだ。商売が繁盛するとか、病気が治るとか、そんなもんは、もう枝の葉なんだ、そう云う物もですね矢張りあのものを、私共は岸先生の信心に子供の時に感じておって、しかもそれが憧れであり、魅力であったね。第一、言う事と行う事がですね、本当にその言わば素晴らしかった、私どもの少年の目から見てから。 
 今日私がです、椛目の言わばその全部の方達が同一色の、言わば上辺だけでもいいから、上っぱりだけでもよいから、着替えさせて頂く所の気持ちにならせて頂かなければならん、そこん所を願えという為の、為にです、先ず総代さん方の信心が、総代さん方というか、ま、その中心になる方達の信心がです、私がいない後の椛目の信心というものはです。そういう強烈なまでの信心の魅力というものが必要であり。
 それはどう云う事かと矢張り心行一致の人が段々、一人でも二人でも出来る事だと私は思う。その心行一致の信心をする人がです、本当におかげを現していく、それが私は皆さんの一つの魅力になり。その人に対しての右へ習えという信心ですね。ご造営という一線上の上に全部が一律に同し着物を着て。整列出来る様なおかげを頂けれる、その勢信心のその向うにです、成程「飛ぶ鳥も翼なしには飛べません」と言うような祈願がなされた時、私は本当な事になるじゃないかと云う事を感じたんです。
   どうぞ。
 朝参りでもなされる方達の信心がです、朝参りをしようと言うだけではなくて、本当に生活の上に信心が生き、生かされて、成る程信心も熱心だが、言われる事とされる事がです、そこに一致、心行一致の人とは、ああいう人達の事であろうと言う様な、信心を皆さんが見につけて頂く事がです、これが一つの渦となって、中心となって、渦の中心となって渦巻く様に、そう言う一つの尊い、有り難い運動がです、椛目全体に展開して来ると云う所に、私は本当のご造営成就というのがあるんじゃないかと言う風に思うのです。
   どうぞ、宜しゅうおかげを頂きますように。