昭和四十年 ?月 ?日 御理解
御理解に自分がおかげを受けた事を実意丁寧に人に伝えていくのが、神への御礼と自分のおかげを受けた事を実意丁寧に人に伝えていくのが、神への御礼と。神様の御礼になる。しかも、それが神になるのぞとまでに仰っておられます。このへんの所が、この御教えを頂いておりますと有難いんですけれども、私共は、こう何か奇跡的なおかげを頂いたとか、いわゆるその霊験、霊験、とにかく参ってみなさい。こういう有難いおかげ頂いたと自分のおかげ受けた事そういう事は、人に伝えていくというふうに私感じておったんですけれども。おかげを受けてという事は、日々こうしてお参りするでしょう。そして朝晩、夕なに、このお参りをされる。御理解を頂かれる。そしてその御理解がほんにそうだなあと【 】有難い御理解だったなあというふうに自分が、その御理解を頂きながらおかげを受けた事を人に伝えていく事も【 】事ですねえ。例えば病気で苦しんでおる人に自分が病気でおかげ受けた事をです。それは、そのままにその有難かった事を人に伝えてその病人の人が、導かれて助かる。成程助かっていくからやはり、その助かる事によって神になっていく働きになるのでしょうねえ。だからそういう伝え方をです。日々自分がお参りさせて頂いて自分が体得させて頂いておかげ。御理解を頂いてから有難い御理解だったなあとそれで自分がおかげをうける。その事がおかげ受けた事ですからその事を人に伝えていくというて誰やら彼やらいきなり捕まえて伝えていくというのでは、なくてです。そういういわば話を伝えていける雰囲気をです。祈らししてもらい願わせてもらい一口でもその事を伝えていくという事は、です。私は、大事な事じゃないかと思うのです。私は、高橋さんにお店がお休みでしたから一家中というか子供2人と奥さんと親子4人連れで【 】にでてまいりました。【 】思う事も段々変わってきていっしょに晩餐でも頂こうかという腹じゃなかったかと思うんです。おいこされてその中にです。お話の中にです。そんな事を私感じたんですけれども、最近先生おかげ頂きまして家の家内が、非常におかげ頂いてくれます。それに椛目にお参りさせて頂いてただお参りさせて頂いただけです。その家内に聞こうとも、思わんしこっちも伝えようとは、思わん。ところが何かのきっかけからです。私は、本当に有難いと思うた事を家内に伝えたとそれから家内がです。私が、帰りをいつも待つようになった。まあ私が、伝えていく事を芯から聞かせて頂くようになった。それでそれは、御理解だけじゃありませんと椛目の現在の様々な状況を今日は、遅かったばってん。こんな話じゃった。それが本当に有難い事じゃないかというてその有難い事じゃないですかというて本当に有難い事ですなあと共鳴してくれる様になったと。ですから私は、椛目にこうやって修行しにでてがまいります事が非常にでてきよる様になっただけでは、なくてです。家内の信心になっていく事です。今日の御理解は、どんな御理解だったですか。こういう訳なんです。ですからきせずして私の頂いて通っているそのおかげが、家内も頂ける様になった。もうこういう雰囲気がです。本当におかげを受けております。というて話しておりますねえ。これは、家内だけでは、ない。家族中の者にそういう雰囲気が生まれ又自分が受けた事を伝えるのが、神様の御礼と思われて伝えさせて頂く様になりそれが自分と関係のあるお仕事の上の方にも近所の方にも親戚の人にもその機会を頂いたら機会を見つけたら機会を祈らせて頂きながらです。自分の中で受けた事を人に伝えるのだという機会がです。私は、つくらせて頂く事を願わして頂くという事がです。神様の御礼になるという事になり、しかもそれがです。神になるのぞとまでいうて下さる様な働きになってきた時です。本当に最近信心が椛目全体に求められております。そういう時にあたってです。椛目の修行をこんなふうに頂いたら有難い事になるなあと頂いてみないうちからは、わからんと聞いたらせからしかという気持ちでは、だからいつまで経ってもわからんていうてなる【 】ひっつかまえて仕方ない。まずそういう雰囲気とお繰り合わせとまず自分がおかげを受けて今日の御理解は、どげな御理解じゃったよというて【 】今日の御理解すらを体得し椛目の真似をし有難いという実感もなかったりするなら、伝える事は、できません。自分が有難いと感じた。その事を伝え、椛目の様々な一つの【 】こういう事がありよるものね。【 】よるもんね。本当考えてみたら有難い事じゃないかと例えば夫婦の間にそれぞれの話合いができれる様になる。しかもそれは、神の御礼として伝えられる様になりそれを聞かせて頂く事が、又楽しいという様な話を聞かせて信心の話を聞かせてもらう事が、その有難い。【 】さんのお母さんのお父さんです。あちらが初めてここに御神縁を頂かれた事をいれておりました。この前も親戚の者がいわゆるしげおさんのところで、あちらに参りますとしげおさんの話を聞くとみんなが楽しんでおっちゃんおばさんみんな、2人が集まりしげおさんの話を聞くと楽しんで集まります。私は、ただそのつもりでただ聞かせて頂きよったのがです。【 】いつかみえた事があります。親戚の者が集まってから雰囲気がです。例えば信心は、せんでも参ってこんでもです。信心話が楽しいというておっちゃんおばちゃん【 】の時に集まって下さる為にしげおさんの話を聞くのを楽しみにしておりますいうていわば雰囲気がです。自分の家庭だけでは、ない親戚中だけでは、ない。自分の周囲に押し広げていくのが神に御礼という事になるじゃないかと感じるですねえ。おかげ頂きました。