昭和42年03月22日 朝の御理解



 咋日、午前中に娘達が、いろいろ、障子のお掃除の道具とか、こまごましたものが、いろいろ足りないものがございましたので、デパートヘ買い物に行ってみようと用意を致しとりますところに、福岡の渡辺先生が入って見えまして、そういうものを買いにお出でられるなら、あなた方が見て買われるよりも、私が見てあげましょうと、一緒について行って下さったんです。
 私共は、親教会の御霊様のお祭りがございまいたから、あちらへ参りました。子供達は、渡辺先生と三人で、久留米に、ちょうど、町の商品券のお供えを頂いとりましたから、それを持って参りました。先生達の一つのセンスで、物を買われるのですから、大変、便利にしたと言うとりましたが。それであの、善導寺から帰らして頂きましたら、子供達が申しますんです。
 久留米で先生とお別れしてから、一人は、善導寺の方に行く。一人はこちらに帰って参りました。ところが、しばらくしたら、その、渡辺先生が、見えておられるそうですもん。そしたら、その渡辺先生が、どうも、あちらで久留米でお別れしたけれど、折角、御用をさせて頂いて、私も、福岡に、久留米から帰ったんでは、どうも心にかかるものがあったから、やっぱりちょっと、お礼をさせて頂いたとこういう訳なんです。
 それが私は良いとか悪いとかと言うんじゃないです。そういう一つの私共の信仰神経というものがですね。見るまであらなければならないということです。引っ掛かると言うことは良いことではありません。確かにそこにおかげが引っ掛かるです。はぁ今日も朝参りしとらんけんどうも気持ちの悪か。これ引っ掛かってる訳です。けどもそれは素晴らしい、私はある意味合いにおいては微妙なまでに、神様に通う神経だと思うです。
 そういう人がほんならちょっと何をおいても、ちょっとやっぱお参りして来にゃと言うてお参りしてくる。そこからおかげが頂けれるんです。かと言うて引っ掛かるそのことがです。私は良いと言うことは言えません。これは信心の過程でございますからそれがなんとはなしに引っ掛からんようになる。平気になるもう神経運動神経と言った様な事を申しますね。いわゆる私はそれを信仰の神経だとこう言う。
 信仰神経がマヒしてしまっているからです。それでもやはりおかげの方もやはりマヒしてしまいます。そのことは有り難いのですから引っ掛かるならば、私はやはりそうすることが本当だということをしなければ駄目だとこう思うです。段々信心が進んで参りましたら、心の上にどの様な場合でも、引っ掛からんですむと。どの様な中にあっても極楽を感じさせて頂けれると、有り難いものを感じさせて頂けれるというところまでには、誰ぞの神経が必要であり。
 いやその神経をいよいよ私は、研いていかなければならんのじゃなかろうかと。私共がここでこうやって、お取り次ぐをさせて頂いて。この上にちょっとこうよごどっても、もうお取り次する気持ちが致しません。もう子供達がちょっと御結界をここに、奉仕して汚したりしとりますと、どうもそれが引っ掛かって出来ません。ですからそれをやはり直さなければ、次の段階に進んでいかれんのです。
 皆さんのその運動神経でけない、その信仰神経がどの様なふうになっておるでしょうか。マヒしてしまったんでは、やはりおかげがマヒします。そこんところを私は、実意丁寧におかげを頂いていかなければならんと。夕べ、もう御祈念にかかる前でしたから、八時半ぐらいだったでしょうか。みんなここへ御祈念のために出ておりました。二番目の光昭も奉仕着を付けて、出てきておりましたけれども。
 ふっと私気が付いたことがあるんです。と言うのは、咋日そこの常持に福島さんという歯医者さんがございます。あちらに先日から、歯が歯の治療をして頂いておったのが、三千円、咋日集金に来てございました。ところがちょうど咋日銀行に持って行ったばっかりでございますしお初穂を整理すればあったでしょうけれども、ございませんでしたから、明日持たせてやりますからと、家内にそう言うて帰って貰っとりました。
 わざわざ集金に来てくれましたけれど。それを私は忘れてしまっておってここに着いてから思いだしたんです。咋日向こうから集金に見えた方との約束の事がどうも引っ掛かっていけんのです。それから光昭を呼びましてから光昭に折角奉仕着を付けて来とるけどちょっと着物を替えてから常持まで支払いに行ってくれと言うてやりました。帰って参りましたら領収書とお金を三千円からおつりを300円持って帰って来とります。
 咋日は三千円じゃったがどうしてかと言うたら、すみませんこんなに遅うわざわざ持って来て頂いてから。これはあなたにお小遣いに、まけておきましょうち言うてから300円いわゆるまけられたという事でございます。どうでしょうもうよかよか、明日でそれはご迷惑かけましたと、向こうは言われるかもしれませんけれども。夕べはあすこは約束しとったばってん、持っても来ちゃなかったと言われるかもしれません。
 同時にほんなら翌日持って行ったんでは、とても300円値引きなさるような事は、私はなさるまいと思います。子供が言わば夜中にその約束を思い出して、はあすみません。わざわざこんな夜中に持って来て頂いて、すみませんとご迷惑かけましたね。これはあなたへお小遣いだと言うてその、まけて下さったと言う事がです。ですからそれを私は目当てではございません。
 そうしなければおられないものなんです信心とは。実意丁寧に行き届いて行くと言う事。実意丁寧神信心と言うことは、そのようなことだと思うのです。そこにはです例えば普通はまけられないものでも、もまけてやるという。300円のおかげが伴うておるでしょうが。ですから、300円のおかげを頂く為に、持って行く。これでは、全然お話になりません。神様とても同じようなことが言えれるのじゃなかろうか。
 この辺を私は大事にしていかなければなりません。それにはまず私の信仰神経がです、咋日お約束しておったとことを思い出す忘れておれば仕方がない。それは忘れてさせて下さったというふうに頂きますけれども。思い出させて頂いたということがです。よかよかと言うそこには私は、おかげがよかよかになってしまうとこう思う。そこんところを皆さん大事にしておいでられることが、日々の中にです実意丁寧がいわゆる盛り上がってくるのじゃなかろうか。
 昨夜のご祈念が終わりましてから、家族の者が、皆ここに、お礼お届けに出て参りました。父が、もう感激いっぱいでお届けするのです。今日は、先生、おかげ頂いた。広大なおかげ頂いたとこう言うのです。はあ、私達は、ほんなら、それが、ちょうど、お風呂に入らなならない。一時間程前から、非常に頭が重くて、鈍痛を感じるらしいんですよ。それで母に、おれは今日は、どうも普通とは違う。
 けども是だけのおかげを頂いて。84年間のお生かしのおかげを頂いて、今日までこの様なおかげを頂いて、毎日毎日が極楽の様なおかげを頂いて、いつお引き取り頂いても言い残す事も思い残す事もない。このまま有り難いと思うてお国替え出来りゃ有り難いと言うて。そんなら早う休みなさいと言うて床を取って休ませたというのです。所が少し気分が良くなってもういっぺん起きてから、風呂に入ると言うそうですもん。
 それからお風呂に入った訳でございますけれども。丁度私は咋日遅うなしとりましたから。今お風呂が大きいですから5人6人ずつ入られるんです。咋日私入りましたら父と勝彦と光昭と3人で入っとります。そこへ私が入って参りましたから親子3人の者がお風呂に入らして頂いた訳でございます。で湯船につからして頂きながらです。親子孫と本当に、こうして極楽に浸らせて頂いておるが。
 なんと有り難い事ではあるなぁと。そういう実感を私は、咋日の御理解に出さして頂いたんです。そしたら父が今日のその具合の悪かったこと。今晩の先生の御理解を頂いて、本当に私がそん時丁度お風呂の中でです、もう本当にこのような、極楽があろうか。親子孫こうやって一緒にお風呂に入れる様な、本当にこういう極楽があろうかと思うとったら。先生あんたもやっぱそれば思うてから。
 今晩の御理解を頂いてもうそれを頂きよるうちに、少し重かった頭がすっとしてしもうてからおかげ頂いて、今晩はよく休まれるだろうと言うてから、ここにお礼お届けに出て参りました。この信心のおかげの微妙さと言うものを感じるでしょうが。その微妙なまでの、おかげのそうした神様の働きというものを受ける為に、私共の神経が神様へです、向こうでしかもその神経が、このビリビリしとると言った様な感じです。
 当たっても当たられても、いわゆるその、麻痺をしておるところを、叩かれても何とも感じません。お気付けを頂いても、お気付けとすら分からないところにです。私は難儀を覚え、受けんでよい難儀を、いや、受けんでも良いというのじゃない、そこを逃れさせて頂けれる難儀をです。
 まともから、受けなければならない様な事すらに、なってくるのでございます。どうぞ、私共は、その300円のおかげを頂きたいからじゃないけれども、お互いが頂きたいのです。為には、どうでもそこんところの実意丁寧な信心を貫かして貰うて、日々を、本当に極楽と言うて過ごせれる様な、おかげを、ただ一つ頂きたいもんだと思いますね。
   どうぞ。